









チャールズ・サイフェ 著、林大 訳
早川書房 2009年 新品
異端という言葉、そしてゼロという数字の、ダブルで魅惑のエッセンスが入っているタイトルに惹かれて、この本を開く。そして、前書きにあたる「第0章」を読んでしまったら、多分ハマる。
「ゼロは魚雷のように米国の軍艦ヨークタウンを襲った」という書き出しで始まるそこに書いてあるのは、潜水艦の新しいソフトウェアの中に入っていた「ゼロ」を技術者が取り除くのを忘れてしまったため、八万馬力が一瞬にしてフリーズしたというエピソード。コンピューターがゼロで割る計算をしてしまったからだ。
「こんな損害をもたらすことのできる数は他にはない」と。それに続くもうワンフレーズでもうノックアウト。
「ゼロが強力なのは、無限と双子の兄弟だからだ」
これに、完全にやられてしまい、夜な夜な最後まで読む羽目になってしまった。が、それはとてもラッキーなことだった。自分がいかに無知(=つまり0)か、ということに面白いくらい、いくつも気づかせてくれたから。
まずゼロが生まれたのは比較的最近。インドで5世紀に生まれたという説あり。たった1600年前。つまり、それまで0がない時代だった!
現代ではゼロがない生活なんて想像もできないが、羊を数えたり、所有物を記録したり、時間の経過を把握することに主に数字を使っていた時代には、確かにゼロなくても問題ないのかも。
そして、ゼロはインドで生まれた、ということはこの本にもメインに近いトピックとして出てくるけれど、ことの発端はバビロニア(イラクの肥沃な三角地帯)。
小石のようなものを滑らせて数を記録する計算盤(そろばんみたいなの)で、その桁には何もない、という、空っぽのスペース、を表現するところから生まれたらしい。ただし、あくまで空位を示す目印で、数字ではなかった。それが、紀元前4世紀、アレクサンドロス大王がインドに進軍した時に、インドの数学者がゼロについてはじめて知った。そこからゼロが生まれていく。
ただし、インドでは受け入れられたが、一見先進エリアのに思える西洋では、、なんとなんと、ずっと無視し続けられてきた。なぜなら、宗教と関係するから。ヒンドゥー教のインドは、無や無限に積極的だったが、キリスト教 は無がNG。宇宙は地球を中心とする天球と考えられていた=有限なので、「無」や「無限」が認められていなかったとかで、あの超スーパースターのギリシャの哲学者たちも、受け入れきれなかった。なるほど、異端の数なわけだ。(確かにローマ数字にはゼロがない)
そのほかも色々と改めて「数字」について気付かされる。
我々が使っているのは、アラビア数字だが、そもそもはインドの数字が、アラビアに渡ったものらしい。われわれは、インド&アラビアではるか昔に開発されたものを、子供の頃から使ってるなんて、それ自体、なんかすごいことだ…、とか。1分が60秒という不思議な区切りなのは、バビロニアの数字が60進法だったから、とか。
ああ、もう、なんて、こんなに身近な、毎日使わない日がない数字について、知らなかったのだろうと。いちいち、悶絶する。
途中、数学や物理が本格的に展開されて難しいところもあるけど(プロからすると序の口ないかもだけど)、最後の方はまた理解できるので、わかんないところは読み飛ばしてもOKじゃないかと。
イノベーションの世界では、「0→1を生む」なんて、言われてたくさんの人が躍起になっているようだけれども、そのゼロの歴史やエピソードを知って、そもそもその0から理解するのもアリなんじゃないかな。そんなアプローチしてる人、ほぼゼロだと思う。
コンセプトとか好きな人も、この偉大な「ゼロ」というコンセプトについて知っておくべきなんじゃないかな。これから、好きなコンセプトはなんですか?と聞かれたら「ゼロ」と答えようかなと。
ちなみに原題は「zero - The Biography of a Dangerous Idea」。日英のタイトル、どっちも素敵。
ゼロを起点に、人類の歴史を理解できます。
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